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ビートルズのメンバー名前と現在は?

ビートルズ(THE BEATLES)は、イギリス北部の都市 リヴァプール(LIVERPOOL)で結成された4人組のバンドです。 メンバーはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、 ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。 彼らが正式にレコード会社と契約を結び、ビートルズとして スタートしたのは1962年。 それから1970年に解散するまで、バンドとしての活動期間は 8年と決して長くはありませんでした。 しかし彼らが現役の「ビートルズ」として活躍していた間、 世界の音楽界のみならず、思想、ファッションなど各方面に 与えた影響は計り知れません。 そしてその影響はバンド解散後、現在に至るまでも絶えること なく続いてきました。 エンタメ業界の浮き沈みの激しさを思えば、彼らの音楽や生き方が 持つパワーは驚くべきものだと言えるでしょう。 そんな驚くべき作品群を創りだしプレイしたビートルズの4人とは いったいどんな人たちだったのか。 ここではそれぞれのメンバーの略歴を簡単に紹介したいと思います。

ジョン・レノン(JOHN LENNON)皮肉屋だけど誰よりも繊細。 愛と平和を求め続けた永遠のカリスマアーティスト

ジョン・レノンは1940年10月9日にリヴァプールで生まれました。 生まれた時から両親との縁が薄く、伯母であるミミ(メアリー・スミス) 夫妻のもとで育てられたジョンは、親に対する愛と憎しみを胸に秘めながら成長したようです。 学校では反抗的な態度が目立つ生徒でしたが、 早くからアート方面の才能が認められリヴァプールの美術学校へ進みます。 同じ頃ジョンはクオリーメンというバンドを結成。そして1957年7月、 あるガーデンパーティでジョンとポールは出会います。 それが後のビートルズへと続く「初めの一歩」になりました。 ジョンにまつわる逸話は他のメンバーと比べてかなり多いようです。 それは天才集団だったビートルズの中にあって、ジョンのカリスマ性が ひときわ高かったからかもしれません。 また、よく「皮肉屋」と言われたジョンですが、それは人並みはずれて繊細な心を持っていた ジョンがそんな自分を隠すためのポーズだったのではないかとも思えます。 もっともジョン自身は「目が悪くていつも顔をしかめてるから無愛想に 見えるだけ」とどこかで語っていましたが・・・。 ジョンは1980年12月8日に熱狂的なファンと称する人物に射殺されました。享年40歳。 亡くなる少し前には、妻であるヨーコ(ヨーコ・オノ/小野洋子)と キスを交すジャケット写真(篠山紀信氏撮影)が印象的なアルバム 「ダブル・ファンタジー(DOUBLE FANTASY)」をリリース。 その中の一曲「スターティング・オーバー(JUST LIKE STARTING OVER)」で「新たな旅立ち」を宣言、多くのファンにその健在ぶりを 強くアピールしたばかりでした。 1969年に日本人アーティストヨーコと結婚したジョンは、 ビートルズ解散後夫婦で平和活動に力を注ぎました。 そして生まれた曲が「イマジン(IMAGINE)」です。 「想像してごらんすべての人々が平和に生きる世界を」 という歌詞を持つこの作品には時代を超えて歌い継がれる「真理」が宿っています。

ポール・マッカートニー(PAUL McCARTNEY) チャーミングな 世界最強のベビーフェイス。天才的ソングライターは今も現役で活躍中

2013年秋、日本にやってきたポール。 コンサート会場は連日満員で、各メディアがこぞって そのエネルギッシュなステージの模様を取り上げました。 1942年6月18日リヴァプールで生まれたポールは来日当時72歳。 そんな年齢になったとはとても思えない若々しい面差しと激しい ステージ上の動きは、とある音楽評論家をして「彼は生きた世界遺産」と言わせた程。 そして私からも一言、彼には「世界最強のベビーフェイス」の称号を差し上げたいと思います。 ポールは1997年に長年に渡る功績を認められ「SIR」の称号を授与されました。 終生「不良っぽい」イメージをどこかに持ち続けたジョンと比べ、 ポールはビートルズ初期の頃から物腰の柔らかさや人当たりの 良さが目立つ人だったので、SIRの称号が授与されたと聞いても あまり違和感はなかったように思います。 そしてポールから連想されるものと言えば「左利き」 「ベースプレイヤー」「卓越したメロディセンス」でしょうか。 ビートルズ時代、額にいっぱい汗をかきながらカールへフナーの ベースギターを奏でる姿は一目でポールとわかる特徴的なものでした。 笑うとちょっとたれ気味な目尻に薄いシワが寄って、それが何とも 可愛い〜って思っていたのは私だけ?とにかく若い頃からキュートなイメージな人でした。 卓越したメロディセンスに関しては、ビートルズ時代に 作られた数々の名曲を聞けば誰もが納得なはず。 おそらく誰もが一度は聞いた事があるだろうという曲、例えば 「イエスタデイ(YESTERDAY)」「ヘイ・ジュード(HEY JUDE)」 「レット・イット・ビー(LET IT BE)」などはポールによるものです。 ビートルズ解散後は、当時の妻リンダとともにウイングスというバンド を結成。1981年に解散するまでこのバンドにおいてもポールは数多くの名曲を創りました。 なお、2013年10月に発表されたアルバム「NEW」が現時点では 最も新しい彼のオリジナル作品です。 また、2014年5月に早くも再来日が決定!今度は野外ステージでの ライブにチャレンジするポール。今から楽しみです。

ジョージ・ハリスン(GEORGE HARRISON)眉間のシワさえ 渋かっこいい。寡黙&思索するギタリスト

ポールに連れられて初めてジョンに会ったジョージは、当時ジョンがリーダーだったバンド 「クオリーメン」の即席オーディションで、「ローンチィ」というインストロメンタル曲をギターで弾き、 ジョンに気に入られてバンドのメンバーになりました。 1943年2月25日リヴァプールで生まれたジョージはビートルズでは一番年下。 そしてバンド在籍時はジョンとポールという「お化け級」な天才の陰に 隠れてなかなかその才能を発揮する機会に恵まれませんでした。 それでも「SOMETHING」や「HERE COMES THE SUN」などの 優れた楽曲を発表しています。 ビートルズ時代のジョージは、とにかく「ハンサム」という言葉が メンバーの中では一番似合う人だったと思います。 太い眉、ちょっと骨張った顔の輪郭、深みの感じられるまなざし。 そしてなぜかいつも眉間にシワがよっているイメージが彼にはありました。 そのせいでしょうか、ジョージには「思索する人」という表現がとても似合うような気がします。 実際ジョージはビートルズ時代から飛び抜けて哲学的な所がありました。 インド哲学にのめり込み、レコーディングでもインドの楽器シタールを使うなど、 人生そのものが深遠な思想に包まれていたように見えることもままあったようです。 そんなジョージでしたが、ビートルズ解散後ソロ活動を始めた4人の中で 最初にヒット曲を出したのは彼でした。 それから数々のアルバムを発表し、1995年にはポールとリンゴ、 そして生前録音されていたジョンの歌声とともに数十年ぶりに ビートルズ名義での楽曲「フリー・アズ・ア・バード(FREE AS A BIRD)」を発表。 この時のPVは実に素晴らしい出来で、今見てもまったく古さを感じさせません。 ジョージは2001年11月29日、癌で死去。58歳でした。

リンゴ・スター(RINGO STARR) 強烈な個性がひしめくバンドの 緩衝剤的存在。誰からも愛される温和な凄腕ドラマー

1940年7月7日にリヴァプールで生まれたリンゴ。リンゴ・スターは 芸名で本名をリチャード・スターキー(RICHARD STARKEY) という彼は幼少時体が弱く、何度も入退院を繰り返していました。 そのため学業には早くから見切りをつけ、入院中に知ったドラムを 叩く事を生業とする生活に入って行きます。 ジョン、ポール、ジョージと違い、リンゴは最初からビートルズの メンバーだったわけではありません。 ビートルズが正式にレコードデビューすることが決まった1962年に、 それまでビートルズのドラマーだったピート・ベストに替わってバンドに加入。 以来解散までバンドのいわば「緩衝剤」的存在として重要な役割を 担うことになります。 大きな鼻に大きな瞳。人懐っこい笑顔が魅力的なリンゴ。 デビュー当時最も人気があったのは実はリンゴだったそうですが、 若い頃のちょっと「ペット的(?)な」可愛さを見ると「なるほど」と思えます。 性格はとても温和で、彼が醸し出す雰囲気が、強烈な個性がぶつかりあい ともすればぴりぴりしがちだったバンドを和ませてくれたのは間違いないようです。 バンド在籍中彼がボーカルを取った楽曲はけっして多くはありませんでした。 歌も何となく微妙に「ヘタウマ」な感じでしたが、彼が歌うとどんな曲でも ほんわかした幸せオーラに包まれるよう。 でもドラムを叩けば独特の「ノリ」が出て、彼のドラミングなしでは ビートルズサウンドはあり得なかっただろうとも言われています。 解散後はジョージに続きリンゴもヒット曲を連発。 その後の一時期は公には殆ど姿を現さずいろいろと 辛い状況に陥っていたこともあるようです。 しかし1990年代に入り復活。現在もリンゴ・スター&ヒズ・オールスターズを率いて ツアーを行っています。2013年には日本公演も行われました。